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どうも。最近の市場は大変なことになってますね。金融の信用収縮というものはこういう形で雪崩になるのか、ということを今更ながらに感じているところです。今後は金融業界だけでなく様々なところに飛び火する可能性が大ですが、ベンチャーの世界はそもそも額が何桁も低いということで、取り合えず今はマクロのことは考えないようにして邁進するのが良いのかもしれません。
で、今日は度々話題にしている資金調達の話です。先日Guy Kawasaki氏のレクチャービデオを見たのですが、非常にシンプルで面白い点が幾つかありましたので要点に触れたいと思います。お題は、「初期段階のベンチャーがVCから資金調達をする際の5つのアドバイス」です。
1.まずは自分の創ろうとしているベンチャーがVCディールに向いているかどうかを検討せよ
これは確かに重要な点ですが意外に見過ごされがちなものです。事業を始めるならばVCから資金を調達するものだ、という考えが新聞やら見聞やらで刷り込まれてしまっているせいかもしれません。彼はFundable≠Viableという言葉で違いを述べていますが、日本語にしづらいので別の言葉で言うと、四六時中がんばる必要があるけれども急成長の可能性があるベンチャーなのか、それとも安定したキャッシュも入る見込みがありビジネスとしてはいけそうだが急成長するという類ではないスモールビジネスなのか、ということです。コンサルティング業やサービス業の多くは後者に属するでしょう。これは良い悪いの話の前にタイプが異なるということなので、間違った資金調達の道に走らないように気をつけましょう。
2.VCから資金調達をするのはデートのようなもので、短い時間での印象が結構重要
出会いを生み出すサイトは幾つかありますが、その両極端がHotorNot(写真を見てイケてるかどうか評するもの)とeHarmoney(性質を事細かに分析して科学的に好相性を見つけるもの)だとして、VCはどちらかと言えばHotorNotに近いと言っています。これは結構言いえて妙ですね。所詮人間の決めることですから、何かしら直感というのものが入り込みます。そうなると運の部分も大きいのですが、短い時間で相手が知りたいことに的確に応えるということは出来るはずです。まず最初のミーティングでは「何をする会社なのか」ということに焦点を絞って、余程その世界で有名でも無い限り、自分の経歴をだらだらと説明するのは避けましょう。
3. Clean dealであることが重要
特許やセクハラで訴訟があるとか、知人や親戚を不適格なポジションに置いているとか、普段は離婚を扱っている叔父さんが弁護士だからと創業の手続きをやってもらったとか、そういう怪しいことが無いように。会社としてきちんとしていることは資金調達に関わらず重要なことですね。そして、もしこういう状況がある場合には隠さずに言うこと。会社の方向が気に入ってもらえれば、こうした問題は処置のしようがありますが、嘘つきには誰もお金をだしません。
4. 好き嫌いに関わらず、スタンダードに則ってPowerPointを使うこと
Kawasaki氏はプレゼンの10-20-30 ruleというのを提唱しています。これは10ページ、20分、フォントサイズ30というもの。文字が少ない分かなり練習が必要になりますが、効果的だと思います。
ちなみに、彼の薦めるスライドは、1.表紙(連絡先も明記)、2.problem、3.solution、4.business model、5.underlying magic (ソリューションの基になっているアーキテクチャなど)、6. marketing & sales、7.competitive landscape (自社の弱点にも触れること)、8.team、 9.projection (重要なのは予測値よりもそこにどうやって達するかの説明)、10.status & timeline、です。私も似たような構成を使うことが多いですが、説明にも筋が通りますし、聴衆の期待にも沿えるので、有用です。
5. 数多くのVCを当たるべし
一流VCからでなくても、お金はお金。取れた者勝ちです。誰かが興味を示した途端に他のVCも興味を示すということは往々にしてありますので、がんばって当たって下さい。
この1-5は重要な点だけれも、それらを無意味にする奥の手もあると言います。それは、自力や友人・家族からの借り入れで立ち上げ、節約しながらがんばったら軌道に乗って、「成長するためにお金が必要だ」と言ってVCのもとを訪れることです。「プロトタイプを作る」ではなく、すでに芽が出ていて「自分では追いつけないスピードで成長している」ということは、1でのfundable且つviableなビジネスだということで、喜んで投資する人は多いはずです。ホットなものには向こうから寄って来ます。近頃は立ち上げは安いですから、このルートを取るべく、最初は自力のベンチャーが増えているという実感です。
如何でしょうか。当たり前の話ではあるのですが、Guy Kawasaki氏はそういうことをシンプルに面白く話すのがとても上手だといつも感心します。動画で見たい方はぜひ原文をご参照下さい。
では今日はこの辺で。
P.S. 知り合いのベンチャーが人を探しています。シアトルにあるOnSkreenという携帯関連のベンチャーです。Sr. Java Developerを募集ということなのですが、興味ある方がいらっしゃいましたらご連絡下さい。
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どうも。Web2.0で儲かっているのはカンファレンスだけだというのはよく言われることですが、今週はTechCrunch50とDEMOがガチンコで行われています。出席されている方、いらっしゃいますか?
FacebookやTwitterもビジネスとしてはまだまだ未知ですが、ユーザーは依然として増え続けています。しかし、これらのSNSツールの付加価値や人気の理由を表現することは難しく、多くの人はやってみないとわからないと言います。かといって「大人」の多くはあれこれ試す時間もないですし、匿名・本名のどちらでするものかというのも悩みますし、取り合えずアカウントは作ったものの別に何が起こるわけでもなくさてどうしたものか、という方も多いのではないかと思います。
そうした私を含め「未だに何が良いのか解らないが無視するのもどうか」というタイプにとっては、やはり左脳的解釈が有用だと思うのですが、先日のNYタイムズに大変興味深く良質な記事がありましたのでご紹介します。興味がある方にはぜひ原文をお薦めしますが、かなり長いので、ここではいくつかポイントを絞って触れたいと思います。
この記事では、Facebookに火がついたのはNews Feedという、つながっている人の些細な動向や発言をトップページに表示する機能が加わったことだとして、その意味ではFacebookも TwitterもDopplrもTumblrも同様だという仮定で、どうしてそのような誰が誰と友達になったとか、二日酔いで眠いとか、何を読んでいるとか、そんな他愛も無いと思われる情報の授受がやみつきになるかということを考察しています。
自分の些細な行動を面白おかしく垂流したり、知り合いのゴシップを気にしたりということは、セレブ文化に染まり過度にナルシスティックな、若者に特有のもので何れ飽きるだろうと思っている人は特に30代以上には多いのですが、その人達もしばらくの期間積極的にに試してみると、なぜかそうした些細なトリビアを毎日楽しみにするようになる、と筆者は自分の経験も交えて述べ、そのパラドックスの鍵は社会学者が言うAmbient awarenessだと指摘しています。
Ambient awarenessとは、物理的に誰かの近くにいて仕草やため息或いはふとしたコメント等から無意識にその人の気分を読み取るというようなことですが、それが面白いのは、一つ一つは大した事のない情報だけれども、日々積もればある人の生活や人格を表すようになり、それを追う事によって会っていなくてもその人についてより知ることができるということだ、と筆者は言います。
Each little update — each individual bit of social information — is insignificant on its own, even supremely mundane. But taken together, over time, the little snippets coalesce into a surprisingly sophisticated portrait of your friends’ and family members’ lives, like thousands of dots making a pointillist painting. This was never before possible, because in the real world, no friend would bother to call you up and detail the sandwiches she was eating. The ambient information becomes like “a type of E.S.P.,” as Haley described it to me, an invisible dimension floating over everyday life.
これは確かに面白い点で、例えば10年以上連絡を取りあっていなかった人とFacebookで繋がると、その人の今が急にまた自分の生活や意識の一部になり、躊躇いなく「また会おう」という素地を与えてくれたりし、一度も会ったことがないブロガーのtwitterをフォローすることで、その人を人としてかなり知っているような気になったりします。別に一言一言は大したことがないのですが、その積み重ねによって、意外な一面を知ったり、その人を好きか嫌いかということはかなり正確に認識できるように思います。
実際に電話で話すよりも、携帯メールやチャット等で短い言葉をやり取りするほうが親近感を感じさせるという研究結果もありますが、そうした頻繁でホンワカしたリズムと、その人に対して新たに得られた知識が結びつくことで、より一層距離感が縮まる、或いは縮まった感じがするのかもしれません。
こうしたツールが力を発揮するのは、ごく親しい人との関係ではなく、むしろ「ちょっとした知り合い」や「交流会で挨拶した程度」などのいわゆる弱い繋がりにおいてだ、というのは想像に難くないと思いますが、その弱い繋がりをそれ程手間をかけずに強化し得るということは「大人」にとっては非常に有益な価値ですよね。実利としては仕事を探したり遂行したりする上でのコネとか、より幅広い知恵を拝借できたりすることもありますし、また人と繋がっているという何となく暖かい気分を得られることもあり、使い方によっては生活をより豊かにし得ると思います。
一方でネガティブな要素も幾つかあります。それはセレブとファンに見られるようなparasocialという一方的な関係だったり、関係を薄く広くしすぎてリアルで密な関係を疎かにしてしまう可能性だったり、或いはまるで小さな村にすんでいるような、誰が何をしているか皆が知っているような気詰まり感や逃げ場の無さであったりします。
個人的には、インターネット時代におけるムラ社会への逆戻りという現象はかなり厄介だと思っています。人の正しい行いを促進する点がある一方、誹謗中傷や風説によるプライバシーの侵害ということは完全には防げないですし、ムラが物理的に分断されていないため、「新しい土地で一からやり直す」ということが非常に難しくなります。そしてムラであるが故に、個人の嗜好とは関係なく、参加・不参加の選択の余地もないという状況が起こりえます。
今時のアメリカの大学生はFacebookに関して既にそういう状況下に置かれているそうで、他人が自分の陰口を言ったり変な写真をアップロードしたりということを防ぎ、自分バージョンの自己主張を常に明確にすることでアイデンティティを守るためにもFacebookに参加し、使い続ける必要性を感じているという指摘もありました。この点は利用者の今後の推移を考える上で見落としていたので新鮮な一方、期せずしてかなり怖いモンスターが生まれてしまったという感じもします。
どの程度情報を開示し、メッセージをコントロールし、それでも尚利便性を発揮するために市場に任せるのか、というバランス感覚はこれから我々が試行錯誤をしながら身に着けていくしかないのかもしれません。
最後にもう一つ、こうしたツールのもたらす副産物として、自分をみつめるという効能が挙げられています。「今何をしているのか」ということをふと考え、それを人に吐露することで、自分をより真摯にみつめることにもなる、と。社会的動物たる人間の性を考えてしまいますね。
さて長くなりましたが、懐疑派だけでなく、そしてこうしたサービスを作っていてキャズムを越えたいと思われている方にも、気づきがあると思いますので、ぜひ原文を参照してみて下さい。
では今日はこの辺で。